人は文を読み幸せを得る

文を読み幸せを得ることを知るものはそれをある種の麻薬というだろう。


文は世界。全ての感情が渦巻く世界。ある意味では最も真実に近い世界かもしれない。


嘘偽りも全てが感情として記される。そこに虚偽はない。限りなく真実を記す努力が為されている。


文は鬼ごっこやかくれんぼが得意だ。捕まえにくいものもあれば見つけにくいものもある。


そしてそれに気づいた時、また新たな幸福という酔いに浸れる。


文は己の運命。意志の決定。存在の証明を是認してくれる。


そこに在るのは誇り。打ち崩されぬは夢。


人が語りし心にピリオドを打たれる時は来ない。


終焉は理解。だからこそ、終らない。


他人に理解され尽くす文に如何ほどの価値が残ろうか。


知り尽くされた問いに興味を示さぬのと同義。


だから文はよりずる賢く、そして広大な広がりを見せていく。


真実が作られるその時までパンドラの箱にある希望が見えないように


文もまた隠し隠され匿い匿われ続ける。


永久に理解出来ぬように、されど忘れ去られることの無きよう


文は――――となる日を望む










理解とは即ち敗北である。敗北は文と自身の死である。


この文章もまた、永久に理解され尽くさぬことを願う



Akrumay.A.Yousynant